展示構成
重要
文化財

下村観山《弱法師》(部分)
大正4(1915)年、絹本金地着色・六曲一双、各186.4×406.0cm、東京国立博物館蔵 Image:TNM Image Archives
[展示期間:8月9日(金)〜9月1日(日)]

コレクター三溪

5000点を超える作品を集めた驚異の目利き

三溪が収集した美術品の多くは、自筆の蔵品目録などの資料群によって解明されつつあります。なかでも三溪が記録した美術品や古器物、古建築の買入覚は、煎茶器に始まり仏画そして茶の湯の道具や関連する美術品を鋭い鑑識眼でコレクションを拡大させていく過程を跡づける貴重な資料と言えます。原家に入籍して間もない明治26年から、晩年の昭和4年までの美術品の売買実績が全5冊に記録されており、関東大震災が発生した大正12年を境に収集活動を自粛したことがわかります。
三溪は、自らの収集活動を総括するために、巨費を投じて豪華な所蔵名品選『三溪帖』の刊行頒布を企てましたが、出版を目前にして関東大震災で焼失し未刊に終わりました。この『三溪帖』の草稿では、コレクションから精選した作品を概ね「日本絵画:古代から近世初期」「日本絵画:近世」「中国絵画彫刻、日本彫刻」「日本墨蹟、中国墨跡、建築、器物」に分類し、通史的に俯瞰しようと試みています。
この章では、『三溪帖』に掲載予定であった作品、すなわち三溪の比類ない審美眼を端的に示す名品中の名品から厳選した作品を中心に、奈良時代から江戸時代にいたる日本と中国の書画を体系的に紹介します。
国宝

《孔雀明王像》

平安時代後期(12世紀)、絹本着色・一幅、147.9×98.9cm、東京国立博物館蔵 Image: TNM Image Archives
[展示期間:7月13日(土)〜8月7日(水)]
買入覚の記載によれば、三溪はこの作品を明治36年に購入している。所有者の前蔵相・井上馨(かおる)から当時としては破格の1万円で購入したという挿話が、当時35歳で古美術収集家としては新参であった三溪の名を斯界に知らしめた。事実、この作品の購入記録に附記して「入金一万三千円也 大坂ニテ諸道具売却代」とあり、購入資金を工面したとおぼしい事情がうかがえる。
孔雀明王は、毒蛇を食べその毒を甘露としてしまう孔雀を神格化した尊格で、さまざまな病気平癒、息災、請雨止雨などに効果があるとしてひろく信仰された。この作品は、通形の四臂(しひ)像として描かれた孔雀明王像の代表的な作例のひとつで、三溪は『三溪帖』解説草稿において、藤原中期の代表品と評価している。
国宝

《寝覚物語絵巻(ねざめものがたりえまき)

平安時代後期(12世紀)、紙本着色・一巻、26.0×533.0cm、大和文華館蔵
[展示期間:8月9日(金)〜9月1日(日)]
11世紀中頃から末までの間に成立をみたとされる物語『夜の寝覚』を絵巻にしたもので、詞五段・絵四段からなる。平安王朝末期の繊細で優美な美意識を伝える名品として名高い。本巻は、その末尾部分の残欠である。 買入覚によれば、三溪はこの作品を、伝狩野元信《奔湍図(ほんたんず)》(大和文華館蔵)などとともに、外交官であった秋元興朝子爵から大正5年に直接購入している。琳派の美術史的価値をいち早く認め、その作品を愛好し収集した三溪は、『三溪帖』解説草稿において、この古大和絵の名作から琳派の創作者が何らかの刺激を受けていたのではないかという独自の推論を述べている。
重要
文化財

伝毛益(でんもうえき)《蜀葵遊猫図(しょっきゆうびょうず)

中国・南宋時代(12世紀)、絹本着色・一幅、25.3×25.8cm、大和文華館蔵
[展示期間:7月13日(土)〜8月7日(水)]
重要
文化財

伝毛益(でんもうえき)《萱草遊狗図(かんぞうゆうくず)

中国・南宋時代(12世紀)、絹本着色・一幅、25.3×25.7cm、大和文華館蔵
[展示期間:8月9日(金)〜9月1日(日)]
南宋の乾道年間(1165–73)を活動期とする宮廷画家・毛益作と伝承される吉祥画で、買入覚によれば、大正8年に京都の鳩居堂から7万円で《蜀葵遊猫図》《萱草遊狗図》を双幅として購入している。このとき、最澄筆 《尺牘(せきとく)(久隔帖)(きゅうかじょう)》(国宝、奈良国立博物館蔵)なども、ともに購入しており、三溪の古美術収集最盛期の一品と考えてよい。
《萱草遊狗図》では、親犬のもとで憩う子犬4匹がいきいきと描かれ南宋画の優れた写実性がみてとれる。一方、《蜀葵遊猫図》では、蝶が飛ぶ初夏、立葵のもとで母猫の側で子猫が戯れる長閑な情景が描かれる。猫が「耄(もう)」、蝶が「耋(てつ)」の音に通じ、ともに老人の字義であることから長寿を象徴する。『三溪帖』解説草稿において三溪は、毛益筆と古来伝承される作品のなかで「優秀ナルモノ」と評価している。
重要
文化財

伝雪舟等楊《四季山水図巻》(部分)

室町時代(15世紀後半)、紙本墨画淡彩・一巻、21.5×1151.5cm、京都国立博物館蔵
※会期中、巻替えあり
『三溪帖』解説草稿には、毛利家伝来の雪舟《山水長巻》(国宝、毛利博物館蔵)と並称される名品であり、「雪舟遺作中ノ優秀ナルモノ也」という評価が述べられている。また旧新発田藩主であった溝口家から、京都の鳩居堂を介して入手した経緯が摘記されている。買入覚によれば、明治36年に大燈国師(だいとうこくし)の墨跡などとともに5千5百円で一括購入したことがわかる。『三溪帖』の草稿を翻刻解説した矢代幸雄によれば、当時、専門家から雪舟真筆について疑問が呈せられ、三溪はそれを慨嘆したというが、終生この作品を愛玩し、死去の前々日にこの巻子を枕頭に披いて生涯最期の鑑賞としたという逸話が残されている。
重要
文化財

伝本阿弥光悦(ほんあみこうえつ)
《沃懸地青貝金貝蒔絵群鹿文笛筒(いかけじあおがいかながいまきえぐんろくもんふえづつ)

江戸時代初期(17世紀)、木製漆塗・一本、長39.6・径3.3cm
大和文華館蔵 [展示期間:8月9日(金)~9月1日(日)]
細かな金粉を敷きつめた沃懸地のうえに、金貝と高蒔絵、青貝の螺鈿、鉄板で合計23頭もの鹿がたくみに描写されている。鹿は秋を代表する典型的主題として古来和歌にも詠まれてきた。そのような文学的な情趣とともに、「鹿」の訓みが「禄」に通じるため吉祥図としても好まれ「群鹿図」などとして描かれた。また、鹿が哀感に満ちたその鳴き声を連想させることから、とりわけ管楽器笛筒の意匠に相応しいと考えられたのかもしれない。
矢代幸雄は原三溪逝去の追悼文に「三溪先生自身も光悦とは深く黙会するところあり、従って光悦派の芸術には最も造詣深くまた名品も集められた」と書いている。

尾形光琳 《伊勢物語図 武蔵野・河内越(かわちごえ)

江戸時代(18世紀)、紙本着色・双幅、各118.0×49.2cm、MOA美術館蔵
買入覚によれば、三溪は、大正2年にこの作品を、尾形乾山《武蔵野隅田川図乱箱》(重要文化財、大和文華館蔵)とともに3万1千円で購入したと思われる。右幅に「伊勢物語」の第23段筒井筒(つついづつ)後半の挿話・河内越の場面が、左幅に同第12段武蔵野の場面が、流麗な筆致と明快な色彩で描かれる。 矢代幸雄によれば、三溪は本阿弥光悦に深く傾倒しており、宗達、光琳、乾山にいたる、いわゆる琳派を近世のもっとも日本らしい芸術流派といち早く評価し、収集につとめた。この作品が収集されたころ、日本美術院の若い画家が頻繁に三溪園に参集して三溪の収集品を鑑賞しており、琳派の作品群も主題と描法の両面で若い画家を大いに感化したと推測される。
三溪の夢を受け継いだ、大和文華館
初代館長・矢代幸雄

コレクター三溪の功績を後世に伝えた人に、美術史家・美術評論家の矢代幸雄がいます。三溪は、権威ある研究者よりもむしろ若い学者と親しく交際することを好みましたが、その代表的な人物が矢代でした。矢代は若き日に、三溪のもとに集まった若い日本画家や学生から成る「三溪グループ」の一員として三溪の薫陶を受けました。名品を前に仲間と激論を交わした日々をのちに回想し、「三溪園の仲間として、珍しく学者として三溪先生によって育てられたことを、一生涯の幸福と感じている。」と記しています。昭和21年に近畿日本鉄道から大和文華館をつくる計画を一任され、のち初代館長となった矢代は、三溪が抱いた美術館づくりの夢を受け継ぐ志で、原家から三溪遺愛の名品14点を譲り受けてコレクションの中核としました(本展ではうち9点が特別出品)。また、同館の研究誌『大和文華』に、「三溪先生の古美術手記」と題して『三溪帖』の草稿を註釈を加えて翻刻し、三溪を直接知る者として、その人物像と歴史観をいち早く紹介しました。

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