展示構成
重要
文化財

下村観山《弱法師》(部分)
大正4(1915)年、絹本金地着色・六曲一双、各186.4×406.0cm、東京国立博物館蔵 Image:TNM Image Archives
[展示期間:8月9日(金)〜9月1日(日)]

茶人三溪

自由闊達な茶の愉しみ

三溪は煎茶に関わる道具を当初から収集していましたが、大正時代に入ると、益田鈍翁(ますだどんのう)や高橋箒庵(たかはしそうあん)らの数寄者との交流を通じ、本格的に茶の湯の世界に入っていきました。自ら構想した茶室「蓮華院」の完成を記念して初の茶事を催したのは大正6年、49歳の時です。三溪の買入覚からは、この頃から茶道具の収集が熱を帯びる様子や、のちに大規模な収集活動を控えた後にも茶道具の購入は続いたことがわかります。
三溪は、この初陣茶会から、亡くなる直前の昭和14年4月の最後の茶会までの会記を綴った『一槌庵(いっついあん)茶会記』を残しています。三溪の茶は侘び茶の中でも「大侘び」だったと言われ、また茶の湯に仏教美術を取り入れる趣向は三溪の前にはみられません。この茶会記からは、三溪の道具の取り合わせを知ることができ、また、三溪が伝統的な作法に拠らずに自由闊達な趣向で懐石や茶を楽しんでいたことがうかがえます。この章では、三溪愛用の茶道具を、茶会記や茶会にまつわる逸話などを参照しながら紹介します。

《伎楽面(ぎがくめん)(迦楼羅(かるら))》

奈良時代(8世紀)、木造(桐)彩色・一面、高39.1・幅21.2・奥行27.3cm、MIHO MUSEUM蔵 撮影:畠山 崇
伎楽とは飛鳥時代に大陸から日本に到来した仮面舞踊劇で、正倉院宝物を始めとする面のみが今日に残る。迦楼羅は鳥を神格化したもので、インド神話のガルダを前身とする仏教の守護神。三溪の買入覚によれば、明治36年に古美術商・今村甚吉から天平時代の器物や仏具など一式を2千円で購入しており、内訳に「天平伎楽面」の記載がある。同じ年に他にも「伎楽面」購入の記録があり、大正9年にも購入している。
三溪は、大正12年に三溪園内苑完成を記念して開催された大師会で、一席を「古美術展観室」として伎楽面10面を披露。600名と言われる来会者はその迫力にさぞ圧倒されたことだろう。また、三溪が伎楽面を主役にした茶事に益田鈍翁を招こうとした矢先、鈍翁が山姥の面を床飾りにした茶会に三溪を招いたため、三溪が茶友との「面対決」を避けて計画を中止した逸話も残る。
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文化財

癡絶道冲(ちぜつどうちゅう)《偈頌(げじゅ)

中国・南宋時代・淳祐6(1246)年、紙本墨書・一幅、27.3×55.5cm、五島美術館蔵 
[展示期間:7月13日(土)~7月24日(水)]
癡絶道冲は、無準師範(むじゅんしはん)と並んで南宋禅林の巨匠と称された僧。偈頌とは仏教の教えを韻文の形式で述べたもので、本作は、虎丘山の雲嶽寺から住持となることを請いに来た使者に断りを伝える内容。 三溪は、大正8年に池田侯爵家の売立に出た本作を、「東都茶器商中に其人あり」と知られた古美術商・梅澤鶴叟(かくそう)を介し、1千9百円で購入している。この年の買入覚には、10万円で購入した最澄筆 《尺牘(せきとく)(久隔帖)(きゅうかくじょう)》(国宝、奈良国立博物館蔵)を始め、三溪が茶席で愛用した古筆や墨跡の名品が多く含まれ、年間購入総額は50万円を超える最高額に達している。

《志野茶碗 銘 梅が香》

桃山時代(16世紀末~17世紀初期)、陶器・一口、高8.3・口径13.5・底径3.8cm、五島美術館蔵
撮影:名鏡勝朗 [展示期間:7月13日(土)~8月7日(水)]
ほのかな赤みを帯びた釉色が美しく、太い轆轤目(ろくろめ)が豪快な無地志野の茶碗。江戸後期の大名茶人・松平不昧(ふまい)の旧蔵品で、不昧の蔵品目録である『雲州蔵帳』に記載がある。三溪は大正12年、おそらく震災の前に、不昧旧蔵品を多数入手しており、本作は2千円で購入している。
翌13年3月に三溪園内の茶室・金毛窟(きんもうくつ)で行われた、益田鈍翁を主客とする震災後初の茶会でこの茶碗を使用している。その後も晩年まで頻繁に茶会記に登場し、愛用していたことがうかがえる。

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