展示構成
重要
文化財

下村観山《弱法師》(部分)
大正4(1915)年、絹本金地着色・六曲一双、各186.4×406.0cm、東京国立博物館蔵 Image:TNM Image Archives
[展示期間:8月9日(金)〜9月1日(日)]

パトロン三溪

敬意と慈愛に満ちた支援

古美術や茶道具の収集家として名を馳せた三溪は、同時代の美術家を支援したパトロンでもありました。横浜出身の美術史家・岡倉天心(本名:覚三)を通じて明治32年に日本美術院の名誉賛助会員となった三溪は、その後、同院の美術家を中心に支援を始めます。その内容は、生活費や研究費の支給、作品の購入といった直接的なものに留まらず、豊富な古美術の収集品を実見する場を美術家に与え、夜を徹して共に議論するといった教育的支援にも及びました。三溪から援助を受けた美術家たちは、金銭の憂慮なく制作に注力できる環境が整っただけでなく、古都や海外への研究旅行、あるいは三溪園や三溪の別邸から得た着想、そして三溪所蔵の名品に養われた見識によって数々の名作を生み出しました。
三溪は大正12年の関東大震災を境にパトロンとしての活動も自粛しますが、同時代の美術家との交流は晩年まで続き、彼らの間接的な支えとなりました。三溪はまさしく、近代日本美術形成の重要な一端を担った人物と言えます。

横山大観 《游刃有余地(ゆうじんよちあり)

大正3(1914)年、絹本着色・双幅、各187.8×86.3cm、東京国立博物館蔵 Image: TNM Image Archives
[展示期間:7月13日(土)〜7月24日(水)]

横山大観は、三溪の買入覚や蔵品目録にその名がもっとも多く認められる近代の美術家。本作の主題は『荘子』の「養生主篇(ようせいしゅへん)」による。魏(ぎ)の恵王が、刀使いの名人・庖丁(ほうてい)の牛をさばく技をほめたところ、庖丁は技ではなく道だと返した。舞のように鮮やかな刀さばきは、心眼で対象に向き合い、自然の摂理に従うことで生み出されると聞いた恵王は、養生、すなわち生を全うする道を悟ったという故事である。 三溪の所感が書き込まれた日本美術院再興第1回展覧会の図録には、「大観の作品多しと雖今日迄第一の作品たるを何人も異議なく候」とあり、自身の宝庫に加わるべき作品として高く評価している。
重要
文化財

下村観山 《弱法師(よろぼし)

大正4(1915)年、絹本金地着色・六曲一双、各186.4×406.0cm、東京国立博物館蔵 Image: TNM Image Archives
[展示期間:8月9日(金)〜9月1日(日)]
下村観山は、三溪がもっとも寵愛した近代の美術家といって差し支えない。作品の購入はもとより、横浜本牧の所有地を提供して住まわせるなど、制作に没頭できる環境を十分に整えた。謡曲『弱法師』を主題とする本作は、偽りの告げ口により父に捨てられ、盲目となって諸国を放浪していた俊徳丸が、西方浄土に沈む太陽を拝し、極楽浄土を観想する場面を描く。大きく枝を広げた梅樹は、三溪園の臥竜梅(がりょうばい)をモデルに描かれたものと言われる。大正4年の日本美術院再興第2回展覧会に出品された当時から傑作の呼び声高い、観山の絶頂期を示す作品である。のちに三溪園に逗留したインドの詩人・タゴールが本作を絶賛し所望したが、三溪は決して手放すことはなかった。

安田靫彦(ゆきひこ)《夢殿》

大正元(1912)年、絹本着色・一幅、113.6×224.5cm、東京国立博物館蔵 Image: TNM Image Archives
[展示期間:8月9日(金)〜9月1日(日)]
経典の解釈書を著す際、夢殿にこもって夢見したとされる聖徳太子の伝説を描いた、安田靫彦初期の代表作である。生来病弱であった靫彦は、明治41年の奈良滞在中に著しく体調を崩し、一時制作を中断せざるを得ない状態に陥った。ようやく回復に向かい、制作を再開した直後の明治44年末、靫彦は岡倉天心からの手紙で、向後2年にわたる三溪からの支援が決定したことを知る。
本作は、三溪から研究費を得た靫彦が着手した、それまでの画業における最大規模の作品であり、第6回文部省美術展覧会において最高賞の二等賞二席を受賞した。三溪の買入覚に本作がみられることは、三溪が自ら嘱望した画家の研鑚に、作品購入をもって報いたことを意味している。

速水御舟(ぎょしゅう) 《萌芽(ほうが)

大正元(1912)年、絹本着色・一幅、201.5×84.8cm、東京国立博物館蔵 Image: TNM Image Archives
[展示期間:8月9日(金)〜9月1日(日)]
深山の中に立つ尼僧を幻想的に描いた本作は、その前衛的な表現が受け入れられず第6回文部省美術展覧会には落選する。しかし、第13回巽画会(たつみがかい)において三等銅賞一席を得た際、本作が三溪の目にとまったことがきっかけとなり、のちに日本美術院第三世代の代表的美術家となる牛田雞村(けいそん)、速水御舟、小茂田青樹への本格的な支援が始まったと言われる。
執拗なまでの写実主義を日本画に取り入れた大正時代の御舟の代表作《京の舞妓》(東京国立博物館蔵)も三溪の旧蔵品であったことから、三溪は御舟の革新的な試みに期待を寄せていたことがうかがえる。三溪のみならず、長男・善一郎の近代西洋絵画コレクションを実見するなど、御舟は原家の当主と二世代にわたって親しく交際した。

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